1月2日 「東電OL殺人事件」の感想

 

 

今日の感想。

 

「東電OL殺人事件」佐野眞一

https://www.amazon.co.jp/%E6%9D%B1%E9%9B%BBOL%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E4%BD%90%E9%87%8E-%E7%9C%9E%E4%B8%80/dp/4101316333

「真犯人を追う」「被告人の精神的裏側に迫る」などではなく、

被害者である東電OLがなぜ「堕落したか」について、「被害者が新宿でも大久保でもなく渋谷区円山町で客引きをしていた」という事実から紐解いていくことを目的とする(と筆者が言及している)ノンフィクション。

 

円山町のホテル街が、もともと岐阜のダム建設で沈む集落の人たちが移住して建設したことが始まりであり、しかもこのダム建設を推進していたのが東電だったため

「この暗合から、被害者は何かの力に惹かれて円山町に夜な夜な立ったのではないか」という謎の推測に1章使用したり、

うるさいセンター街と高級住宅地松濤に挟まれた立地である円山町を「狭間の土地」として、

被害者の実家の墓を訪ね、街の中に現れる草原に立つ墓をみて「被害者は円山町とこの景色を重ねたのではないか」と推測してみたり

序盤から違和感満載で、あ、これ・・・と思ったり。

 

そもそも、私はノンフィクションがかなり好きなのだけど、一番大切なのは序章だと思っていて、

・なぜ、筆者はこの事件に着目し、肩入れし、膨大な時間をつかって取材を進めていくのか表明する

・被害者への筆者の感情を明らかにする

などの、本の筆者だからこそ許された「書く特権」がそこにあると思っていて、

初っぱなから坂口安吾の「堕落論」を引用して「彼女はなぜ堕落したのか/人間は堕落するしかないのか」・・・という入りの時点で、この人、一緒に飲み会したら絶対気が合わないタイプなんだろうなぁ〜。

「被害者にフォーカスする」と最初に定義しているのに、突然被告人の無罪証明に奔走し始めるところも私としては最初、ついていけませんでした。。

 

とはいえ、筆者が被告人の故郷であるネパールを訪ね、強制退去させられた証人に夜事件の根幹に関わる証言をとってくるくだりや

そのあと怒涛のように続く裁判の傍聴記録などは、本当にすばらしい!

筆者がとってきた情報がきっかりと真実とおぼしき結果に符合していく過程は、その取材の執念への敬服と、読み物としての完璧なスリリングさを併せ持つ、最高の情景でした。

 

なのでそのネパール取材の合間で筆者が三島由紀夫を引用したりだとか、裁判傍聴で「被害者の巫女性を感じずにはいられない」などちょっときもい感想をしたためたりだとか、殺人現場の下の階にある居酒屋を取材した際の「汚い喧騒の上に死体があったなんて、やはり円山町は狭間」みたいな感想(5割くらいの殺人現場は当てはまる)がノイズとして悲鳴をあげているように感じられました。

特に最終弁論が終わったあと、被告人の刑が確定するまでの間にまた「被害者がなぜ堕落したのか」についての章が入るところでは、「被害者は閑静な住宅街で育ったので泥んこ遊びを許されていなかったのではないか(=だから、汚れたくなったのではないか)」とか、精神科医と勝手に喋って「拒食症の人の母親(=被害者の母親)について」何ページも書き綴ってみたりだとか、大学時代の女性の友人が「どんな女性でも汚れてみたいと思うことがあるんじゃないでしょうか」と言ったことについて「驚嘆」してみたりだとか、

本当に、お願いだから早く無罪確定して本を終わらせて頂けないでしょうかと思ってしまいました。

 

これだけ取材をして、的確な犯行時の想定を立てる筆者なのに、被害者の行動原理を考える上で終始「円山町」にこだわるのは何故なのか。

ちなみに私は渋谷が大好きだし、私の知っている今の渋谷は当時よりもきっとめちゃくちゃ綺麗になっていて、円山町やハチ公前でいわゆる客引きの女性を見たこともありませんが、円山町にはそこまでこだわりなかったんじゃないかなぁ〜って個人的には思いました。

慶應大学時代、被害者は勉強以外のことで男性と会うのは「ステディな関係以外はしない」と本当にお固かったみたいだし、きっと渋谷のそれこそ駅からちょっと離れた円山町なんて来ることもなくて、

何かのきっかけで会社のある新橋への銀座線乗り換え地点である渋谷で降りてみて、なんか客引きとかしてみようかな、ホテルも近いし、いいかなぁ〜って思ったのかなぁ〜って、きっかけレベルのことなんじゃないかなと。

筆者は被害者周辺をかなり洗って「円山町」と被害者との関係を炙り出そうとしていたけど、同じ円山町で客引きをしているような女性にインタビューとかしていれば、

(被害者は取った客全員メモしていたぐらいマメな人だったみたいだし)もっと「何故円山町を選んだのか」という合理的な理由に迫れたんじゃないかなーと思いました。

 

筆者は本の中で、被害者が行為の前にお酒を飲むことについて「堕落への最後の一押しを求めていた」みたいに解釈してるけど、被害者がそういう客引きを堕落と捉えていたかどうかから本当は考え直さないといけないんじゃないのかなとも思った。

そこまでいうなら、この人のいう堕落ってなんだろうって思う。「実は被害者より社会の方が堕落していることに気付いて欲しかった」と言ってみたり、「社会の小堕落に比べて被害者は突出して大堕落している」(ちなみに同じ渋谷にあるのでNHKの不倫問題に触れています)と言ってみたり、筆者自身「堕落」ってなんぞやわかっていないじゃん。

ちなみに筆者は当初から遺族に取材を申し込んでいるようだけど、刊行時も未だに遺族からの返答はなかったとのこと。

 

本の中での結論として、「ノンフィクションはわからないことはわからないと言わなければならない」という筆者の正義感に基づいて、「被害者が円山町で客引きを行うまでに至った心理的過程はわかりませんでした」としているけど、

なんとなく全編にわたって(こと「被害者心理探求」については)筆者は、最初からゴールを用意していて、そこに向かってやれいろんなところに行ってみたり人に話を聞いてみたりしている印象。

で、結果それに値する取材結果が得られなかったので、「わかりませんでした」と言ってるみたいな。そんな感じがしました。

 

真犯人の方が気になるので、今夜はネットサーフィンをそこそこして、寝ます。